神様の名前

                            作:うえき あやこ








すぐ目の前が海。
静かな砂浜から少し離れた小さな町に僕たちは住んでいた。

近所で子供は僕と、お姉ちゃんと、
もうすぐ生まれてくる弟だけだったから、
退屈すると、よくポロポロヤンとフサエさんに会いに行った。


      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ポロポロヤンは町で一番の年寄りだ。

本当の名前はきっと違うはずだけど、
ポロポロヤンに本当の名前を聞くと「ホントはドンドドンヤン」
次に聞くと「今日はパッパラパーヤン」って、
毎回違うことを言うから、僕はポロポロヤンって呼んでいる。

もうすぐ百歳のポロポロヤンは、
茶色い帽子を被って杖をついてゆっくり歩く。
海に近い大岩の上に座って分厚い本を読む。

僕はそこから何度も海に飛び込んでパシーンと水しぶきを飛ばす。
その度に「ヤメテクダサーイ!」「本ヌレマーシター」と
ポロポロヤンが変な調子で怒るから、
僕はおかしくてまた飛び込んでしまう。


      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


フサエさんはそんなポロポロヤンの奥さんだ。

フサエさんはポロポロヤンと同じくらいシワシワの顔をしているけど、
ちょっと変なポロポロヤンと違って、いつもキビキビ歩いているし、
買物カーを引っ張って、電車で町の外まで行くこともしょっちゅうだ。

僕が何かにくよくよしていたら、
「そんなの小さい。大丈夫大丈夫!」と
口を真横に開いてウワハハと笑う。

シワシワな顔がもっとシワシワになるんだけど、
僕はその顔がとても好きだ。


      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


しばらくして、ポロポロヤンが岩の上に来なくなった。

心配して家まで見に行くと
ポロポロヤンが具合を悪そうに横になっていた。

「病気なの?」と僕は心配したのに、
「ノーノー。よく寝るジジ、よく育つ」といつもの調子で返してきた。

フサエさんが「これ以上育ったら二百歳だわ。ウワハハ」と笑った。


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夏も終わりになる頃、天気の悪い日が続いた。

その日、お父さんはお母さんを隣町の病院まで連れて行き、
僕は無理やりお姉ちゃんと留守番をさせられていた。

「退屈だなぁ」と天井を見上げた時だ。

ウワワワワワワーン!!と警報が鳴り響いた。
隣のおばちゃんがスリッパで駆け込んできて叫んだ。
「津波が来るよ!」

僕とお姉ちゃんが息を切らして高台に駆け上がると、
もう町中の人達が集まっていた。

「相当大きな津波らしい」「家は大丈夫かな」
みんなが不安そうに言葉を交わす中、僕ははっと気が付いた。

ポロポロヤンとフサエさんがいない。

そのことを周りに伝えても、みんな顔を見合わせるばかり。
「助けに行かなきゃ!」僕がイライラと叫ぶと、
消防署のおじさんが「もう無理だ。津波はすぐそこまで来ている」と
悲しそうな目で僕の肩に手を置いた。

僕はその手を払いのけると、担架をかっさらって走り出した。
後からお姉ちゃんも追いついて一緒に走った。

海も空も灰色だ。
風の音が工事現場のようにガガガガガーと響く。
僕たちは担架を握り締めて夢中で走った。

  
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 
「ポロポロヤン!!」

声を枯らしてドアを開けると、布団に横たわったポロポロヤンと、
その手を握るフサエさんがいた。
何か、お祈りをしているようだった。

「助けにきたよ!一緒に逃げよう!」

突然のことに二人は始めビックリした顔をしていた。
そして、いつもならウワハハと笑うフサエさんが、ポロポロと涙を流して
「もう、誰も来てくれないと思った」と泣いた。

ポロポロヤンを乗せた担架を僕とお姉ちゃんが担いだ。
すごく重くて、転ばないのがせいいっぱいだ。

「もういい、もういいよ」とポロポロヤンが僕の手をつかむ。

でも僕は絶対にあきらめたくなかった。
ポロポロヤンは大切な友達なんだ!

その時だ、巨大な波の壁が、突然に目の前に現れた。
オバケがゆらり、と手を広げて捕まえにきたみたいだ。
音も聞こえない。
声も出ない。
みんなその場に凍りついた。
「もうだめだ…」


すると信じられないことが起きた。


波が、まるで思い直したかのように、すうーっと、
僕たちの前から引いていったのだ。

後には青い海と、青い空が戻ってきた。


      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


僕たちがしばらくポカンと立ちつくしていると、
町のみんなが駆けつけてきた。
「よく無事だった!」
消防署のおじさんがほっとした顔で座り込んだ。

僕はすごく言いたいことがあったのに声が出ない。

すると突然「見たか!どんなもんだい!ウワハハハ!」と
フサエさんが胸を叩いて得意そうに笑った。

それを見て、僕もお姉ちゃんも、ポロポロヤンも、
「ウワハハハハハ!」と大声で笑った。


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後からわかったことだけれど、ポロポロヤンは神父さんだった。

僕たちが助けにいった時、二人は最後のお祈りをしていたのだ。

僕は今も神様を信じていない。
でも、もし本当にいるなら、僕はポロポロヤンみたいな神様がいい。

「でも神様の名前がポロポロヤンじゃおかしいな」と僕が笑うと、
ポロポロヤンは少し考えてから静かに答えた。

「ではプカプカポーヤン。ドーデスカ?」


<おしまい>


これは私の、子供の頃に仲良しだった老夫婦から聞いた話を元に、
亡くなったお2人を偲んで2010年に書いた創作物語です。
まさかその後に東北の震災が起きるとは・・・

お2人の前で、津波は本当に止まったのだそうです。
「信じられないだろうけど」
とフサエさんが話してくれたことも、
きっと本当だったのだと思っています。