何かの記事で読んだのですが、
「全ての大人が、3歳までの記憶を持たない。」
それが今も専門家の間で謎だと。
確かに私も覚えていません。
というか、小学校1年くらいからの記憶しかないです。
不思議ですよね。
3歳までに吸収することは膨大で、
その経験の上に4歳、5歳・・・と積み重ねられていくのに、
基礎となる3歳までの記憶が大人になるとなくなってしまう。
でも私にはこの理由がわかるような気がします。
遺伝子は、3歳までの記憶を消した方が
その後の人生にプラスになることをわかっているのです。
だって、3歳までって普通ロクな記憶がないじゃないですか。
暗い狭いに閉じ込められる10ヶ月(耐えられません)、
首を折り曲げ・頭蓋をねじって出てくる誕生日(辛すぎる)、
肺に入れたこともない空気を入れ、
お腹に入れたこともないミルクを入れ、
裸でいたいのに着膨れさせられ、
いいかげん辛いから泣けばガックンガックン抱っこ(や~め~て~)、
優しいお母さんの顔が、時に般若と化し(しかしナゼだかわからない)
「お母さん大好き!」と心から伝えたいのに、
どんなに頑張っても
「あー」とか「ぶー」とかにしかならず(これが2年ぐらい)、
わかんないこと、わかってもらえないことばっかりの毎日。
きっと大人なら耐えられないストレスでしょう。
一方、大人も辛いのです。
赤ちゃんだからしょうがないと思っても
自分まで赤ちゃんになれるわけではないので普通に頭にくることは頭にきます。
我が子には笑顔だけを覚えてて欲しいのに、
世界中の誰にも見せたことがないような憎悪の表情を
むけずにはいられない。そして自己嫌悪・・・
何度寝顔に謝ったり、ポロポロ涙したりしたことか。
そんなわけで、親子ともに、3年間の試練を乗り越えたら
きれいさっぱり嫌なことは忘れてしまった方がいいのです。
人類繁栄のために不可欠な機能として、
長い進化の過程で
脳の仕組みの一つになったのです。(おぉ~っっ)
ついでにこの仮定からは、こんな式が書けます。
誰もが忘れる=どの子も同じ=どの親も同じ
「子供を愛している」
その気持ちがあれば、
たまに理不尽に怒ってしまったとして、
大丈夫。
みんな同じだし、みんな忘れてくれます♪
でも魂は「愛情」や「優しい空気」を忘れません。
ずっとずっと伝えたかった「ダイスキ」を言葉にするために・・・
こうして都合よく解釈しながら、今日も育児に立ち向かうのです!
危うく皇室テロでした
これまた何十年も前の話になりますが、
学生時代にアセアン10周年だかのタイミングがあり、
その記念式典として大きな舞踊ステージが企画され、
大学掲示板に通訳バイトの募集が上がり、
私もその一員として働くことになりました。
※通訳バイトは当時高給だったので、貧乏学生は
多少実力が及ばずとも果敢にダイブしておりました。
仕切っていたのは美しく、キャリアも人脈もある大人の女性。
準備後半の方はもう誰もが「やばい、本番やばい」状態で、
その美しい人が 「あーもー! みんなカネカネって!!!!!」
とキレているのを見ながら私も走り回っていました。
この開催、もちろん箱も大きかったのですが、
なぜここまで必死だったかと言うと、
初日に皇族をお迎えすることになっていたからなのです。
秋篠宮文仁親王と、紀子様と。
そんなわけで何かドーンとしたことをしなくてはならず、
アジア各国の楽団を1つにまとめた『アセアン虹のオーケストラ』
なるものを結成し、その全員と日本人指揮者の間に入る通訳が
私の仕事になりました。よく本番に漕ぎ着けたものです...
母国語の異なる100人が指揮者の元にまとまっていく、
その過程を共にすることは素晴らしい体験でした。
しかししかし、やはりアジア人。
アジア時間もあれば、アジア倫理もある。
練習中の「脱走」などは普通にありました。
そして本番当日も、直前にメンバー1人が行方不明になったのです。
もうあと30分で幕が上がるというようなタイミングです。
「△さん! △さんどこですか~!!!」
来場者の人混みを掻き分け焦り探しました。
その視線の先に△さん発見!
「△さん!!」と飛び出した瞬間、ガッと羽交い絞めにされました。
本物のSPに。
人生でSPに取り押さえられる経験をする人はそういません。
いったい何が起きていたのでしょう。
それまで△さんしか目に入っていなかったのですが、
その足元はレッドカーペットでした。
まさにその先に黒塗りの車が停まり、
秋篠宮様と紀子様が降り立ち、
赤い絨毯ロードは厳戒態勢。
人だかりがそこだけスッと一本抜けたような完璧な静寂。
そこに叫びながら飛び出したんですね (ノ∇≦*)
私の目の前を、お2人がにこやかに過ぎていかれました。
ニュースにならなくて良かったです。
学生時代にアセアン10周年だかのタイミングがあり、
その記念式典として大きな舞踊ステージが企画され、
大学掲示板に通訳バイトの募集が上がり、
私もその一員として働くことになりました。
※通訳バイトは当時高給だったので、貧乏学生は
多少実力が及ばずとも果敢にダイブしておりました。
仕切っていたのは美しく、キャリアも人脈もある大人の女性。
準備後半の方はもう誰もが「やばい、本番やばい」状態で、
その美しい人が 「あーもー! みんなカネカネって!!!!!」
とキレているのを見ながら私も走り回っていました。
この開催、もちろん箱も大きかったのですが、
なぜここまで必死だったかと言うと、
初日に皇族をお迎えすることになっていたからなのです。
秋篠宮文仁親王と、紀子様と。
そんなわけで何かドーンとしたことをしなくてはならず、
アジア各国の楽団を1つにまとめた『アセアン虹のオーケストラ』
なるものを結成し、その全員と日本人指揮者の間に入る通訳が
私の仕事になりました。よく本番に漕ぎ着けたものです...
母国語の異なる100人が指揮者の元にまとまっていく、
その過程を共にすることは素晴らしい体験でした。
しかししかし、やはりアジア人。
アジア時間もあれば、アジア倫理もある。
練習中の「脱走」などは普通にありました。
そして本番当日も、直前にメンバー1人が行方不明になったのです。
もうあと30分で幕が上がるというようなタイミングです。
「△さん! △さんどこですか~!!!」
来場者の人混みを掻き分け焦り探しました。
その視線の先に△さん発見!
「△さん!!」と飛び出した瞬間、ガッと羽交い絞めにされました。
本物のSPに。
人生でSPに取り押さえられる経験をする人はそういません。
いったい何が起きていたのでしょう。
それまで△さんしか目に入っていなかったのですが、
その足元はレッドカーペットでした。
まさにその先に黒塗りの車が停まり、
秋篠宮様と紀子様が降り立ち、
赤い絨毯ロードは厳戒態勢。
人だかりがそこだけスッと一本抜けたような完璧な静寂。
そこに叫びながら飛び出したんですね (ノ∇≦*)
私の目の前を、お2人がにこやかに過ぎていかれました。
ニュースにならなくて良かったです。
NO と言える松岡修造さん
まだ松岡修造さんが現役テニスプレーヤーだった頃の話です。
当時ロンドンにいた私は、その日、
松岡修造さんが初出場したウィンブルドンの試合場にいました。
まだ予選で、多分それほど日本でも話題にはなっておらず、
彼の試合を見守る人影はまばらな上に、
日本人ともなると他にいませんでした。
その私さえ、特にテニスファンではなく、
もちろん松岡さんの出場を知って足を運んだわけでもなく、
「せっかくこの地にいるのだから」と立ち寄った先で、
たまたま日本人の名前に気付き、興味本位で
試合途中から観戦しはじめたという安いギャラリーでした。
さて、その予選コート。
センターコートとは違い普通のオープンコートです。
フェンスからは選手のリアルな息遣いまで感じ取れます。
それくらいですから、独り言は全部聞こえます。
「いくぞいくぞー!」「取るぞ取るぞー!」
と、試合中ずっと大きな声で喋っている。
わー、なんか珍しく よく喋る人だなぁー(大声だし)
と、先入観のなかった当時の自分は素直に驚いていましたが、
今となると何の驚きもないですね。ザ・松岡修造。
そんな彼が目の前で見事に勝利を収め、退場していきました。
アガシだったりシュティッヒだったりが人気だった当時、
黄色い声援は遠くに聞こえ、松岡さんは勝ったのにボッチという淋しさ。
選手控えに繋がる道にはスター選手を追いかける日本人女性も
多くいたのですが、松岡さんには目もくれません。
「かわいそう!😭 私は応援してたよって、伝えたい! 」
急に日本人としての使命感に駆られ、
彼の大きな背中を追いかけました。
あと少しというところ、
急に後ろから羽交い絞めにされたのです。
松岡修造さんが遠ざかる。
見上げればゴツイ黒人さん。
私はうっかり「立ち入り禁止区域」まで走りこんでいて、
スタッフにとっ捕まったのでした。
「松岡さん!松岡さん!」と指さしで訴えると、
スタッフは松岡修造さんを呼び止めてくれました。
"Do you know this lady?"
"No."
瞬殺 !!!!!!!
松岡修造・・・独り言はあんな喋ってたのに・・・
英語はノーだけでした・・・
かくして、私はそのままツマミ出され
「ひどい! 次負けろ松岡!!!!」と呪ったのでした。
今この話を聞いたら、松岡修造さんは覚えているでしょうか。
是非サイン色紙の一枚でも贈っていただきたい。
寄せる一言はもちろん、「No!」 で。
当時ロンドンにいた私は、その日、
松岡修造さんが初出場したウィンブルドンの試合場にいました。
まだ予選で、多分それほど日本でも話題にはなっておらず、
彼の試合を見守る人影はまばらな上に、
日本人ともなると他にいませんでした。
その私さえ、特にテニスファンではなく、
もちろん松岡さんの出場を知って足を運んだわけでもなく、
「せっかくこの地にいるのだから」と立ち寄った先で、
たまたま日本人の名前に気付き、興味本位で
試合途中から観戦しはじめたという安いギャラリーでした。
さて、その予選コート。
センターコートとは違い普通のオープンコートです。
フェンスからは選手のリアルな息遣いまで感じ取れます。
それくらいですから、独り言は全部聞こえます。
「いくぞいくぞー!」「取るぞ取るぞー!」
と、試合中ずっと大きな声で喋っている。
わー、なんか珍しく よく喋る人だなぁー(大声だし)
と、先入観のなかった当時の自分は素直に驚いていましたが、
今となると何の驚きもないですね。ザ・松岡修造。
そんな彼が目の前で見事に勝利を収め、退場していきました。
アガシだったりシュティッヒだったりが人気だった当時、
黄色い声援は遠くに聞こえ、松岡さんは勝ったのにボッチという淋しさ。
選手控えに繋がる道にはスター選手を追いかける日本人女性も
多くいたのですが、松岡さんには目もくれません。
「かわいそう!😭 私は応援してたよって、伝えたい! 」
急に日本人としての使命感に駆られ、
彼の大きな背中を追いかけました。
あと少しというところ、
急に後ろから羽交い絞めにされたのです。
松岡修造さんが遠ざかる。
見上げればゴツイ黒人さん。
私はうっかり「立ち入り禁止区域」まで走りこんでいて、
スタッフにとっ捕まったのでした。
「松岡さん!松岡さん!」と指さしで訴えると、
スタッフは松岡修造さんを呼び止めてくれました。
"Do you know this lady?"
"No."
瞬殺 !!!!!!!
松岡修造・・・独り言はあんな喋ってたのに・・・
英語はノーだけでした・・・
かくして、私はそのままツマミ出され
「ひどい! 次負けろ松岡!!!!」と呪ったのでした。
今この話を聞いたら、松岡修造さんは覚えているでしょうか。
是非サイン色紙の一枚でも贈っていただきたい。
寄せる一言はもちろん、「No!」 で。
振り向きません!
まだ私が山中の中学でほのぼのと暮らしていた時代の話です。
2年生のある日、木漏れ日の中を1人下校する背中に
男子生徒達の冷やかす声がかかってきました。
「オネーサーン」
「一緒に帰ろうよ~」
「恥ずかしがらないでさぁー」
やだな。ばか男子。
私は気にしないことにしてズンズン歩きました。
それでも男子達はからかいをやめません。
「オネーサーン」
「無視しないで~」
盛り上がる男子の笑い声。
あったま来るなぁ。
フゥッと息を吐き、思い切って振り返りました。
「もう、いいかげんにしてよ!!!」
その先に見えたのは
8人くらいの同学年男子。と、
その前を歩く、可愛い女子2名。
一瞬の沈黙の後
「おまえじゃねぇよ、うえきあやこ!!!!」
😂😂😂😂😂😂😂😂
その後、どうやって帰宅したのでしょう。
全く記憶にありませんが相当死ねたはずです。
この日を境にして、名指しで呼ばれない限り
決して振り返らなくなったのでした。
2年生のある日、木漏れ日の中を1人下校する背中に
男子生徒達の冷やかす声がかかってきました。
「オネーサーン」
「一緒に帰ろうよ~」
「恥ずかしがらないでさぁー」
やだな。ばか男子。
私は気にしないことにしてズンズン歩きました。
それでも男子達はからかいをやめません。
「オネーサーン」
「無視しないで~」
盛り上がる男子の笑い声。
あったま来るなぁ。
フゥッと息を吐き、思い切って振り返りました。
「もう、いいかげんにしてよ!!!」
その先に見えたのは
8人くらいの同学年男子。と、
その前を歩く、可愛い女子2名。
一瞬の沈黙の後
「おまえじゃねぇよ、うえきあやこ!!!!」
😂😂😂😂😂😂😂😂
その後、どうやって帰宅したのでしょう。
全く記憶にありませんが相当死ねたはずです。
この日を境にして、名指しで呼ばれない限り
決して振り返らなくなったのでした。